ジョブチェンジ

2007年11月28日
コペルニクス的回転である(でもないか。w)。
手の内にとどめておきたいものほど一度捨ててみるべきなのである。
つまり、今の自分は問題を抱えている。
だけど今の自分が嫌いではなく、むしろそれがあたしなのだと思っている。
だけどそれでは苦しい。
そう、つまり今は全てをリセットするときなのだ!

例えばFFとかで戦士としてレベルを上げるていると、魔法使いになりたい時は、また1からやり直さないといけない。
魔法使いとして出直して鍛え上げると、今度は両方使えるようになる。
多分そんな感じ。

実際あたしは今のあたしがあたしだなんて思ってるけど、このあたししか知らないだけで、他のやり方の方が実はあってるのかもしれない。
おしいけど、今のやり方は一度横において、別のやり方で一からやり直すべきだろう。
別の自分を獲得した時にはじめて二つの自分の真ん中がイメージできるのだろう。

とりあえず、気性の激しい自分は横においてみよう。
優しい自分になってみよう。

1に近づく

2007年11月27日
この世はすべて0と1。
何も無い0と
何かがある1

あたしが立ち止まって何もしていないのは0
あたしが立ち上がって勇気を振り絞って足を踏み出したら1

あたしが無視して 凍えそうな声で鳴く子猫を素通りするのは0
あたしが振り返って、子猫の元へかけ戻って抱きしめたら1

あたしがあの時怖がって、大好きなあの子に声をかけなかったら0
あたしがあの時勇気を出して声をかけたから、このお腹に1がある

ねぇ あなたは今日どれだけ1に近づきましたか?

Where am I ?

2007年11月26日
自分らしく生きよう。
そう決めたものの。
「自分らしさ」ってものが意外に分からなくなる。
それはまるで幽霊か何かのようで。
ついさっきまで原形を保っていたかと思えば次の瞬間には得たいの知れない形になってあたしを困惑させる。

あたしらしさ。
この間までそれは自分の思いに従って生きていくことだと思ってたけど、そうなるとそれは自分の欲のまま生きるってことで、そして欲のまま生きちゃうと些細な事で怒って、優しい自分が見えなくなって、そうなると優しい自分がなくなるわけだから結局自分らしくないのかもしれない。
だからといって怒らないように自制しても、今度はそれは自分を抑えてることになってまた自分らしさを見失ってしまう。
いったいあたしらしさってなんなんだろう。

優しくありたいと思う。
それと同時に強く、正義感のある人間でありたいと思う。
でもあたしの中でこれらの要素が混ざり合った理想像が出てこない。
とっても心の優しい女の子の像か
強くで自分を曲げずに己を貫く男の子の像か。
これらの像はきっとあたし自身で、二つに分かれてしまうということはあたしの中で統合されていない二つの自分なのかもしれない。

日本で居ることを想像すると。
あたしは女の子の方で居ることに努力するだろうし、きっとその方が心地よいのだと思う。
だけどアメリカで住むことを考えると、どうしても男の子方がでてきて、自分を主張するためにきつくなってしまう。
あたし自身は優しい自分で居たいと思う。
だけど自分のことは自分で主張するというはっきりしているアメリカ文化が好きなのも事実。
二つの文化の狭間で、自分というアイデンティティが見出せない。

日本人は人に心を裂く。
相手がどう思ってるのかを常に読み取り、最善を尽くしている人が重宝される。
そういう人は自分を主張しない。

アメリカ人は生き残れる力を求める。
どんな困難な状況でも勝ち抜ける力。
そのためにはやはり自分を主張していかないといけない。

正反対だけど、どちらの文化も劣ってるとか勝ってるとかはなくて。
自分の好きな方にあわせたらいいのだろうけれど。
あたしはどっちも取れない。
どちらの自分も居るから。

学校では意見を言うことが求められる。
だからあたしは難なく意見を言う。
そうすると自分を主張しない日本人の視線が刺さる。
敬遠され、遠巻きにみられる自分。
それ以上に、自分を主張しすぎている自分に居心地の悪さを感じる。

あたしの中で一つだった人格が分かれていく。
二人は背中を合わせている。

ねぇ、あたしはどこに居るの?
恨み、憎しみを受け止めるとはやはりとてもついらものなんだと思う。
それは自分が人に嫌われているという恐怖ではなく。
なんだかどれも歯車が合わなくて、心が伝わらなくて。
そのことがただ悲しくて。

本当は平和を望んでいるのだ。
皆を愛せればどれだけ幸せなことだろうって思う。
だけどそれができなくて。
怒りや悲しみ。
人と関われば関わるほど増していくばかりで。
私が心が安心できて笑える世界は遠ざかっていくばかりで。
全てを見切ってしまいたいという心ど同時に、それでも可能性にしがみつくことしかできない。

平和とは妥協じゃない。
平和とはお互いば本当に理解し、受け入れることなんだ。
あたしはあたしのことを誰も受け入れてくれないとジレンマし。
でもそれはそれと同時にあたしを受け入れない相手をあたしは拒んでいるのだ。
こんなんじゃ平和はこないのに。
あたしの中ではあたしを誰も本当に受け入れてくれていないことに憤慨することしかできない。
そしてその現実を悲しみ、恨むことしかできない。

本当のところはあたしが一倍何をも拒んでいるのだろう。
人を理解しようとしていないのだろう。

違う、ということはどうしてこうも悲しいのだろうか。
確かに同じになってしまえば楽。
そんな苦しみなんて存在しないのだから。
でもあたしは仮に自分が異物であっても、ここに存在している以上それを抹消する気はないのだ。
どんなに苦しもうとも。
あたしは絶対に自分を偽らない。
偽ってしまえばそれこそ本当に人を理解し、受け入れる機会をなくしてしまうことだから。
偽らずに、自分を流れ込ませれたら一番いいのに。

思いとはうらはらに。
あたしはどんどん人を拒んでいって、拒まれていって。
異物をどんどん膨れませていって、めだたせてって、うとまれってて。
それでもあたしは歩きつづけて。
その原動力は虚勢と意地だけなのかもしれない。
この体に最後の思いを託して。
あたしは泥だらけの、穢れだらけの心でそれでも歩き続けるのだ。
いつしかこの体が、この心の穢れを払いのけてくれるところへ運んでくれることを信じて。

言霊

2007年10月18日
あたしの価値って何だろうって考えたとき。
つまりあたしがあたしにしかできないことで、人に認められることって。
この文章たちでしかないだろうと思う。
別にあたしの文章が上手いとかそういうことしゃなくて(むしろすごく下手だ)。
それは多分、この文章があたしという人間の全てをあらわしているからだと思う。
他の人は持ち得ない、あたしでしかないものだから。
あたしはあたしと他人とをはっきりと分けてしまうこれを憎むと同時に、あたししか持ってないこれに誇りを持ってる。
あたしの世界観。
あたしの感性。
確実に人とは違う。
すごく違う。
それがゆえにあたしをひどく苦しめるのだけれども。
だからこそこれは天然記念物だと思う。笑

あたしが見るもの考えるもの信じるもの。
全てがあたしにとってはいとおしくてたまらないし、誇りに思うからこそ、他人が理解してくれないときが悲しい。
ただの変人としてつまはじき、もしくは嫌煙されることが辛い。
そしてあまりに違うが故に人とあわないことがにくい。
永遠の孤独。
そんな恐怖感をあたえるこれらのもの。

あたしでしかない。
あたしの塊。
仮にあたしが死んだとしても。
これらが消えないなら
あたしは死なない。
こうして書くことで。
あたしはあたしをここに刻み付けてる。

二つ目の世界

2007年10月18日
人ってなんなんだろう。
あたしはいつも人は二重の世界で生きているように思う。
動物達と同じように、命を維持する世界と、社会という人が作った世界。
そしてその二つ目の世界で、人はゆがめられるような気がする。
一つ目の世界では物は物として、あるがままでしかなく。
例えばえさならえさ、関係ないものなら無でしかなくて。
全てがそのままでいる。
人だってきっとただの人で。
いいとか悪いとか、そんな風にゆがめられない。
だけど二つ目の世界、社会で人はゆがめられる。
こいつは悪いというレッテルを貼られたり。
かと思えば他の場所では尊敬されたり。
あたしはあたしで何も変わらないのに。

人は夜を恐れる。
暗くて、見えないから。
だけどそんなこと動物はしない。
夜は夜でなくてはならない存在。
どうしてそれを否定するの。

友達が居ない奴はダメとか。
お金ないとだめとか。
それが一体なんだというのだろう。
夜が必要であるように。
全ては必要で、変わる必要なんてない。
外で遊ぶのがすきならそれでいいし、なかがいいならそれでいい。
それぞれは種類が違うのであって、いい、悪いはない。
なのに積極的にならなきゃいけないとかどうして言うのだろ?

結局のところ、
その人が満足しているのであればそれでいいのだ。
なのにどうしてその人が楽で居れることをしていると人は非難するのだろう。
どうしてその人のほかの面のいいところを認めないのだろう?

きっとあたしが社会という世界に住んでいなかったら。
どれだけ心は楽になるだろうか。

だけど社会がないと生きていけないのも事実なんだ。

思うに。
決して人は本当に死にたいなんて思わない。
だけどこの息苦しい社会に居たくないだけだ。
どうして沈んでると文章を書きたくなるのだろう?
口でいう気力もないからかな?苦笑

あたしは多分、そう、あんまーり恵まれてはいないのだと思う。
社会で生きていくにあたって。
あたしの気質はあまりにも社会のそれとそぐわなさ過ぎる。
あまりにも人と価値観が違いすぎる。
うまくそこをあわせていく能力もなくって。
その上この妙に矜持が高いのと、自分を曲げないことと、感情をそのままだしてしまう気質は、もう確実に不利である。
あたしという存在は、ただひたすら違和感を感じ、そして周りに与え続けるだけだ。

だけど別にあたしの人生自体は恵まれてないとは思わない。
むしろ恵まれているのかもしれないと思う。
こんな気質だけど、ちゃんと友達と思える人が居て、たとえ疎外感を感じようとも、そんなあたしでも彼らは受け入れようとしてくれてて、そんな人が回りにいるなんて恵まれていると思う。
こんなんなのにとくにひどく嫌われることもないし(全く嫌われてないとは言わない。苦笑)、何より幸せだと感じることができるから。
あたしは恵まれているのだろう。

その上他の事にかけては恵まれてると思う。
頭だって中の上だし、
運動もまぁできるし、
胸が小さい意外は体系も悪くないし。

それでもやっぱり思うのだ。
あぁ、あたしって生きにくいタイプだなぁって。笑
あまりにも違うのだ。
あたしはあまりにも人が興味あることに興味がなくて、
人が興味がないことにありずぎる。
ついてないなーって思う。

でも、まぁ決めてしまったのだ。
あたしはそんな自分で生きていくこと。
もうとことん人と違おうと、誰にも認めてもらえまいと、誰に攻められようとも
あたしはあたしを生きていくしかないのだ。
そりゃ人と折り合いをつけていく努力は続けていく。
だけどそれはあたしらしく居れる範囲ないでの話であって、もうあたしらしくないことはしないの。
自分に嘘も極力つきたくない。
優先順位はこの暴れ馬が先。
まわりはあとです。

そう、不器用なんだ。
だけど仕方ないじゃん?
一日二日の努力で不器用は直らない。
直ったように見せかけることはできつけれど、それは見せ掛けにすぎなくて、いつかぼろがでちゃうものである。
だったらもう、不器用らしく生きていくしかないのだ。

明日が来るから明日を走る。
明後日もくるからそれも考えながら走る。
とりあえず走りぬけるよう、最善をつくすっきゃない。
そうだから
悪いけど今はあんま皆にかまってる余裕ない。
皆より先に着いたら手伝ってあげるよ。笑

どうして…

2007年9月12日
どうして世の中はこんなに生きづらいのだろう?
どうして人は人に何かを求めるのだろう?
どうしてありのままを受け入れる子とができないのだろう?

どうして痩せなきゃいけないのだろう?
どうして可愛くなきゃいけないのだろう?
どうして友達がいなくちゃいけないのだろう?

どうして人と違うことをしてはいけないのだろう?
どうして反対してはいけないのだろう?
どうして思ってることを口にだしてはいけないのだろ?

どうして嘘をつかなきゃいけないのだろう?
どうして皆に合わせなきゃいけないんだろう?
どうして誰も本当のことを言ってくれないんだろう?

どうして誰もそんな世界に不満をもたないのだろう?
どうして恐れてばかりで、立ち上がろうとしないのだろう?
どうしてそんなに悲観的なのだろう?
どうして頑張るあたしを笑うのだろう?

どうしてあたしでいてはいけないの?
いい子なんかじゃない、
優しくなんかない、
人と群れるのがすきじゃない、
今学べることを学びたい、
質素な生活でいい、
どうしてそんなあたしではいけないの?

どうして皆と同じような服を着て、
皆と同じようなテレビを見て、
皆と同じようなこと言って、
みんなと同じような喋り方をして、
どこにでもいそうな彼氏を作って、
どうしてそんな風に生きなきゃいけないの?

どうして誰もあたしの心をみてくれないの?
どうして皆と違うあたしを受け入れてくれないの?
どうしてそんな風に腫れ物に触るような目でみるの?
どうして本当のことをあたしに言ってくれないの?
どうして
どうして
どうして

どうして誰も自分の心と向き合わないの?
どうしてその心の奥にくすぶっているわだかまりを無視し続けるの?
どうして自分に嘘をつき続けるの?
どうして無理して人にあわせるの?
何であんなことをしちゃったんだろう?って考えてて、なんとなく分かっては居るんだけど、どうしたらもっとわくりやすくなるだろうとか考えてた。
そして思いついた比喩がこれ。
本物のチョコレートを食べたことはなかったんだけど、きっとおいしいに違いないから食べてみたいなーと思ってた。
そりゃ自分が本当に食べたいと思うチョコレートを食べたいけど、そんなのないし、だから一番身近なチョコレートを食べたらおいしいかなーとか食べたいなーとかなんとなく思ってた。
だけどそのチョコレートはあたしの友達のだから食べちゃだめって思ってた。
でもその友達がしばらくチョコレートの元を離れるって知って、チョコレートを食べるかもしれないと思った。
あたしはチョコレートが絶対自分を食べてっていうのを分かってたから。
だめだって思ってたけど、食べてみたかった。
だから行った。
そして食べてお願いされた時に「じゃぁちょっと…」っと食べてみた。
食べてみてから「あれ?まぁいいんだけどおもったよりおいしくないなー」と思って、それと同時に自分は人のチョコレートを勝手に食べてしまった事態の重大さに気づいた。
そう、それはチョコレートじゃなく、人だった。

うーん。
うーん。
これじゃぁ人の彼氏を「手の届くところにあるチョコレート」とみなしてる自分の人でなしな考えに閉口してしまうなー、苦笑
でも本当のところをいってそうだったんだよね。
彼はチョコレートでしかなかった。
齧ってみたかった。
それだけ。
でも人はチョコレートじゃないんだ。
あたしも自分はただのチョコレートイーターでもない。
ちゃんと心があって、だから他の人を喜ばしたり、悲しませたりできる。
あたしもちゃんと心があって、だからすきでもない人とそういう事をしたり、友達を傷つけることをしてしまうと辛い。
だけどあたしは時々人を人と見ていない時があるように思う。
そう、ただのチョコレートだったり、泥棒猫だったり。

あたしは男の人に愛されることが好きだ。
優しくされたくて、可愛がってもらいたくて、あたしは媚を売る。
そう子猫みたいに。
どうすれば人に愛されるのか知っている。
そしてそれがどれだけ心地よくて利益があるか知ってる。
可愛いなぁよしよしってしてもらって、何か失敗したって笑って抱き上げてくれる甘い蜜。
あたしはただ懐に包まれていただけ。
そう、だから彼らが喜ぶことをしてしまう。

でも自分が愛してない人から愛をもらおうとするなんて搾取でしかなくて。
罰があたったのかもしれない。

あぁあたしが本当に人を愛せる日はいつくるんだろう?
そしてあたしが愛した人があたしのことを本当に愛してくれる日はいつくるんだろう?
いつになったらあたしは全てを割り切れるのだろう?

まじ、こんなに気がちっさいのにあんなことするんじゃなかったと思う。
なんかまるで、ちょっとしか食べられないくせにいつも食べすぎちゃっておなか壊してるみたい。苦笑

黒くした

2007年7月1日
罪を犯してしまったことへの最大の罰はこの罪悪感だろう。
誰にも言い訳することも、逃げ道を作ってもらうこともできない。
ただ、ただ、重苦しい気分に襲われる。
ばれて、攻め立てられることの恐怖。
実際にそうなったときのほうが案外楽だったり。
そんなことはないだろうけど。

犯した罪が消えることはない。
反省したからといってなかったことにはできないのだ。
なかったことにできれぃぃのに…。

人は罪を背負いながらも前を向いて生きることを諦めないから美しいのだろう。

自分が真っ黒に汚れていくみたい。
あたしこんなに汚かったのかなぁ?
このまま黒に溺れてしまえれば楽なのになぁ。

まるで自分で自分を傷つけているみたい。
自分で自分を黒くした。

I don’t know

2007年6月24日
どうして同じ気持ちになれないんだろう。
どうしてお互い好きになったり、嫌いになったりできないんだろう。
プラスであれ、マイナスであれ、お互い同じ気持ちを共有してたらこんなことはないのにね。

辛いとは言わない。
あたしは辛くない。
ただ自分を正当化したいために来る罪悪感に悩まされてるだけ。
どうしてあんなひどい事いったんだろう?
だなんて自分を責めて自分も辛いって思い込もうとしてるだけ。

そんな後悔をして、そして、なんだかそんなに自分の考えに固執しなくてもいいっていうか、別に向こうが思うとおりにしてあげたらぃぃんじゃないかなんて思ってくる。
罪悪感にかられてごめんね、って抱きしめたくなる。
でもそんな事したってうそなのはかわりないから…。

罪悪感と後悔で好きなのかもしれないなんて思ってくる…。
あぁわからないよ…。

好きなのがなんだかわからない。
ただごめんね、って抱きしめてあげたくなる。
なんだか自分の本当の気持ちなんてどうでもいいんじゃないかなって思える。
この罪悪感から逃れたくて…

あんなこと言ってしまったけど、思えばあたしより彼のほうが強いと思う。
あたしはあたしの目線からでしかものを見れなくて、自分の弱さを棚にあげていた。
あんなに言われても、それでも聞き続けるなんてすごいと思う。
なんだか本当にいますぐ誤って抱きしめてあげたい。

今頃になって、思いが伝わってきて、あぁでもぃぃのかなぁもうわからない。
でもやっぱり愛せないのだけれで。
彼の言うとおり、自分にもチャンスを与えてあげてもいいのかなとか。
あと一週間ぐらい一緒にいてもいいのかなぁ?
彼はあんなに向きあってるんだから、あたしも向きあわないといけないいんじゃないかなぁ
わからないけどせつない

会ってぃぃのかなぁ
これってすきなのかなぁ
ねわからない
わからない

明君

2007年6月1日
自分がやりたいことを自分で決める。
当たり前のような言葉なのに実はそれすらできていなかったように思う。

あたしは王様なのだ。
あたしという民を治める王なのだ。
どうすれば民のためになるのか。
弱さ故に臣下に思うように操られたり、民に見くびられるようなことがあってはならない。
そのためには自分で決断しなければならないのだ。

自分がやりたいこと、まるで雲にかかったように隠れてしまってるように思う。
一体民は何を求めているのだろうか?
あたしは王として、民の声を聴くという重要な任務を怠惰していたみたいだ。

「君らしく、君がしたいようにすれがぃぃ。何も怖がらなくていつも傍に居るから」
「誰かが気に入るようにすると他の奴が文句を言うし、そっちの言うとおりにすると今度は反対側が怒ってくるし。どっちにしたって嫌われるなら自分がやりたいことをしな!ぶーぶーいう奴を無理槍引っ張るくらいの勢いで。間違ってたならまた道を帰ればぃぃ事なんだから。」

あたしには心強い臣下が居る。
あってるか、間違ってるかなんてわからない。
だからといって他人に依存はできないのだ。
だから、しっかり考えて、正しいと思った方に進めばぃぃ。
あたしの民のためになると信じてることをやるしかないのだ。

民をどう導くか。
まずは初勅をたてなくてはならない。
どのように生きていくか、道しるべとなる決まりを。

信じるということ

2007年5月6日
自信。
自分を信じる。
よゆやくこの言葉の意味がわかったのかもしれない。

今までわかってる気でいた。
でも今までのあたしは「自分の能力」を信じることはできても、それ以外は何も信じていなかったように思う。

信じる。
それは不確かなものの善なる可能性を疑わないこと。
確かなものを疑わないことではないのだ。
あたしが今まで「信じて」きたことは、確かな自分の能力のを疑わないでいただけなのだ。

あたしは自分は犯罪者になるかもしれないと疑っていた。
あたしは自分はもうすぐ死ぬかもしれないと考えることがあった。
あたしには生きていく能力はないのかもと。
自分の中の善に見える部分も所詮逃げの虚勢でしかないのだと思った。
あたしのやり方は間違ってるから辛いのではないかと疑った。

一番怖いことは自分の気持ちが変わってしまうことだった。
あたしを信じて!なんて誰にもいえないと思ってた。

そう。
あたし自信を信じてなかった。

あたしは人なんて信じれないということを、自分を通してわかったつもりで居た。
自分でさえこうも嘘をついている。
他人なんてなおさらだろうと。

だからあたしは人の裏切りを攻めはしなかった。
やっぱりね。
人間の性ね、と。
自分を棚にあげて人はせめれない。

仮にあたしが間違っていたとすれば。
あきらかにここだろう。
あたしは自分を信じれないことを信じていた。
あたしは絶対に間違っていると信じていた。
何の疑いもなく。

自分を信じてあげよう。
自分を裏切らない自分になろう。

そりゃ気持ちなんて、思いなんて変わる。
だけどそれがおこるまでは
おこるなんて事も考えずに
ひたすら思いを貫こう。

自分が友達と思った人はとことん友達でいようと頑張ろう。
いつか離れる日がくるとしても、そんな脇は見ずに、前を見よう。
そうやって自分の思いさえもつらぬことしないで人生えおわかりきった顔でいるのは。
結局何も努力しないで諦めてるだけなのだ。

自分は間違ってるかもしれない。
それでも最善だと信じて突き進むのだ。
間違いと気づいた時にかえればいい。
最善だとその時ですら思わないことが考え直すべきだろう。

なんにしても
全てがあってるなんてことはない。
ただできることは自分を信じ、励まし、愛することだけだ。

I need a master

2007年4月24日
今はもう自分を切りつけることはしてないけど、だからといってあたしの自傷行為が完全に治ったわけではない。
何かある度に傷跡を見て。
まるでこの傷跡があたしの証であるかのようにすがり続ける間は。
決して治ったなんて言えないだろう。

あの頃はああして現実から逃げていた。
今はただあの頃の方法を使わないだけで、
でも他の方法で現実から逃げているのだから、
あれをやめたからといって全てが治ったわけではないんだ。
結局のところ何かにすがって、現実を見ないようにする態度は変わってない。
ただ、ただ、心の安らぎを求めて回りを見ないようにしている事には変わらない。
大人になったと思ったのに。
何も変わってないじゃん。

現実なんて
なんなの?って思う。
どうして現実から逃げちゃだめなのって思う。
この世に楽しいことがなくて、辛いことばかりだったとしても
非現実な世界へ行くことであたしは笑って生きることができる。
それのどこがいけないの?

死ぬな
と言う。
だからあたしは生きるため現実から逃亡する。
それでもあたしの身体はここにいて、生活している。
ちゃんと与えられた命を生き抜いている。
ただあたしは「社会」という世界に生きてないだけだ。
でもちゃんと神様が、地球が、両親が下さった命を全うしているのだ。
それの何がいけないの??

ほんとはわかってる。
この世界にいるあたしが、他の世界で行き抜くことはできないてこと。
一時的に逃げても、必ず戻ってこなければならないということ。
痛みは一時的に消えても、すぐに襲ってくるということ。
あたしが現実を受け止めない限り、あたしはずっと苦しいということ。
だけど
どうしたらいいかわからない。
受け止めるってどうやって?
立ち向かうって何に向かって?
あたしに向かって?

一人じゃつらいの。
誰かが助けてくれたら…
なんて甘いのかな?
でもね、人は一人じゃ生きられないって皆言うじゃない。
誰かあたしにヒントを教えてくれたら、あたし、這い上がるからさぁ。
ねぇ、コツを教えてください、師匠。
上手に生きられるコツを。
人を愛せるコツを。
優しくなれるコツを。
そしたら自分で強くなってみせるから。

最後の傷跡

2007年4月17日
リストカットをしだしたのはいつごろだっけ?
…あんまり覚えてない。
記憶にあるのは傷を隠すためのベティーズリストバンド。
バイトの失敗を謝りながら切った夏。
そして自分のせいで愛犬が殺されると思って責めて血が流れるほどに切ったあの日。

おそらく始めたのは高1の時じゃないかな。
最後高3って覚えてるから、丸二年やってたことになるのかな?
そんなにやってたっけ?

多分一時的にやめて、でも嫌な事があるたびにやってたんじゃないかな?

弱かった。
脆かった。
甘えてた。
誰か、何かにすがりついてた。

事実を書くとなんだかそっけないけど。
あたしはあの弱くて必死だったころを否定する気はない。
薄らいだ記憶の中も自分。
助けを上手く求めれなかったんだ。

過去の上にあたしが居るのだから。
全ての過程が大切だったんだ。

あの最後の血。
懸命に生きる身体に気づいたあの日。
あの日があったから、あたしはこれからはこの身体を抱きしめて生きていこうと思えるんだから。。。

怒り

2007年3月3日 エッセイ
考えたらもうすぐ20歳になるのだけれど。
あたしは今頃中学生みたいなことしてる。
怒りってマイナスなことの方が多いのかもしれないけど、やっぱり自分の気持ちを正直に表現することは大切だと思う。
もっと上手くできるようになりたいね。
でもこうして、初めて怒りと正面から向き合って、どうしていいのかわからない事が多いけど、そうやってぶつかり合っていくことで学んで、次からはもっと上手く表現できるようになる
…と信じてる。笑

きっと今のあたしのこと皆怒りっぽくて、気が強くて、くそ真面目で扱いにくい子って思ってるんだろうな。
でも本人としては、怒ってるけど、別に冷静だし。
怒りっぽいというよりはわざとそうあらわしてるんだけどね。
根はすごく小心ものだから。
あとで懺悔ばっかしてるし、そうやって表すことによる代償は覚悟してるけど、すごく悲しかったりする。
だけどあたしにとっては怒りを表現する事は、その人とのRelationshipに対して真剣ってこと。
どうでもいい人には怒るエネルギーなんてないもん。
あたしは自分が気に入らなかったから怒るとかいうより、もし自分が不快感を感じたとき、それをかくしてしまったらもう関係は表面上だけのものになるっておもってるから、その不快感を表してる。

いつでも隠すことはできる。
ただここではそんな事はしないでおこうって決めた。
正直にいきようって。

だから人にもそういう態度を求めてしまう。
「どうしてこの人は本音を言わないでうわべだけしかいわないの?」
「あたしにむかついたなら怒ればいい。お互い気持ちを見せあわなくちゃ、本当の関係は気づけないのに」
って思う。
本音を見せてくれない人は「友達」でしかなく、きっとしばらくしたら忘れてしまうだろう。

そういうあたしだって、すぐに人から離れてしまったりするけれど。
決めたことは。
嫌われ者になったって、常に人に正直でいること。

そりゃまぁ、嫌われないでそうできたら一番いいけどネ!

19歳を生きる

2007年1月15日
19才。
未来への不安と焦り、現実への失望を抱きながら
隣には未来への希望と自分への誇りと志への情熱を持ち合わせてる。
割れそうで、すぐに壊れそうだけれど。
それでもずっと灯りを絶やさない熱い思いでなんとか保ってる。
何も知らなかった頃の純粋な笑顔はなく。
でもいつまでも失望に溺れてるわけでもなく。
そんな現実の中でもこの想いを、自分を絶やさずに生きていこうと決意をしてる。
それでもそれをずっと安定させることもできなくて、
自分の中に完璧に取り込んでしまっているわけでもない。
不安定だけど何よりも強くて、でも間違いだらけでそれでもひたむき。
それが19歳のあたし。

女としての誇りを持ちながらも。
そのことに自信もなく不安でもある。
女としての強みをためらいなく駆使しながらも。
女としての弱さへのコンプレックスもあり、恐れもある。
それが女のあたし。

19歳の女のあたし。

自分の心と共に生きながらも女としての自分も忘れたくない。
熱い想いと共に女としての包容力を持ち、
強い志を貫きながらも誰かに包まれていたい。
自分の心に常に耳を傾けると同時に、女としての自分も忘れない。

性別なんて関係ない?
そう。
あたしはただ自分の性質を最大限に生かしたいだけ。

運命を無理に動かすんじゃなく。
運命の中の光のある方へ舵をとる。
変えられないものを変えるのでなく。
変えられないものの利点を最大限に利用する。
それがあたしにとって「生きる」という事だから。

中途半端

2007年1月5日
幸せと自分の道を貫く事はかならずしも一緒についてくるわけじゃないのだ。
むしろ自分を貫く事は幸せとはかけ離れたシチュエーションにあたしを導くかもしれない。
だけど仕方ない。
あたしはそれでも自分を貫く事を選ぶし、そうせざるを得ないのだから。

幸せってきっと平凡なもので。
平凡に生きてる人が手に入れられるもの。
人に、時代に逆らう必要なんてない。
楽なほうに、自分の心が行くままに従えば与えられるものだから。
もしかしたら幸せって、自分の中にある自信から生まれるものなのかもしれない。
周りえおきにせず自分の意思に従う事で自分で幸せを作れるし、幸せもおのずと寄ってくるものなのだろう。

だけどあたしはどっちでもない。

人様をまねて、自分の思いをかき消して上手に生きていけるほど器用でもないし、
人様なんて気にしないで自分を貫けるほどの器もない。
ただ、自分の志を捨てたり、変えたりすることもできず、かといって志を貫けるほどの心も持っていなくて。
ただ、ただ、揺れながらも、おびえながらも志を貫こうと進もうとすることしかできない。
器用でも強くもない。
不器用で、すぐに折れそうなくらい弱い、なのにいっちょまえに志なんぞやさけんでる。
それがあたしなのだ。

そんなあたしだから。
もう人様が手に入れる幸せはあきらめているし。
みずから作り出すことだってあまり期待はしていない。
ただあたしがしたことは
たとえ幸せがおとづれることもつくられることがないとしても、自分の思いに従って生きていくと決めただけ。
たとえそれが完璧にできなくったて。
出来る限りそうして行こうと決めただけ。

きっと短い命だろうから。
きっとそうすることで自分に満足できるだろうから。
あたしは幸せよりそっちを選ぶ。
というかそれしかできないのだけど。

昔から積極的にも受身にもなりきれなかった。
人から声をかけられるような雰囲気をもってるわけでもなく。
かといって積極的に誰にでも話しかけられるほどの度胸を持っているわけでもない。
結局そんな中途半端なあたしがしたことは。
相手が話しやすいように自分から話しかけることだった。
だからこれからも。
自分の志が貫けるように障害物を壊していくのかもしれない。

きっと人間自体弱くて中途半端なものなのかもしれない。
「恋にひたむきにいきることもなく、志を貫くほどの意志もなく、かといって捨て去れるほどの潔さももっておらぬ。…」
実はこれが平凡なのかもしれない

走って走って走って

2006年11月29日
夢と希望の裏には。
苦しみと絶望が張り付いている。
それでもあたしは夢と希望を運びたい。

本当は不安で仕方がない。
大人になる事。
責任を持つという事。
一人で新しい場所で、又新たに自分の居場所を作ること。
考えるだけで足がすくんでしまう。
あたしはほら。
どこでも一人でやれる子じゃないし。
いつも爆発しそうな不安を抱えながら無理してる。

怖くて仕方がない。
このまま走って逃げてしまいたいよ。
このまま走って、走って、走って。
誰にも見つからない隠れ家へ
逃げ切れたらぃぃのに。

独りぼっち

2006年11月20日
人に非難されることとか
そういうこと事実そのものよりも
あたしはそれによって本当に自分はだめなんだと思ったり
絶望してしまう事が怖い。

誰も居ない。
一人ぼっち。

実際はそうじゃなくてもあたしがそう感じてしまうならそれがあたしにとっては事実なのだ。
そういう事実。
それが怖い。

実際はなんだっていい。
っというか。
あたしの周りで起きてること自体に悩まされることは少ない。
あたしの中で起こること。
それがあたしをどん底まで突き落とす。

わかってるんだ。
あたし自身の問題だって。

独りぼっち。

独りぼっち。

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